A tribute to Freddie - On Nov. 24/2022

Sul Sul!

ようこそ!
何かの縁があって、
このページを見つけて下さり、
ありがとうございます。

💛

私がこの記事を表立って出さないのは、
こうしてここを見つけて下さった方のみに、
そしてこのページに書かれているであろう事に、
理由はなくとも、
何となく目を通してみたい。

そんな風に思って下さった方だけに、
立ち寄って頂きたいからです。

そしてここは今日という日に、
私が感じたこと、
それを覚えておくための覚書です。

ただそれだけのもので、
ここに書いた自分の考えが、
正しいなどとは言っておりません。
そんなのは滅相もない事です。

ですが以下は、
自分自身にとっての正解だと思っております。

数学の答えと違って、
気持ち、感情、感覚などなど、
目に見えないものの答えは、
人それぞれだと思います。

そしてつまりは、
誰得でもない自分得なだけの、
久しぶりの寝言ですが、
宜しければ以下どうぞ。

💛

さてさて。

以前にも数回書かせて頂いのだが、
世間一般からは外れた、
私の歪んだ死生観により(笑)、
Freddie Mercuryは、
31年前の今日の日に、
"魂の入れ物を脱ぎ捨てた"と、
捉えております。
アタオカ上等!(笑)

そう思えるのは、
リアタイからのファンじゃないからかもだし、
いくつかの誰かの死を超えながら、
こうして生きているからやもしれません。

話戻って、
私はこの世の森羅万象、
エネルギーで出来てると思っております。

生死に関わらず、
Freddieという存在も、
エネルギーだからこそ、
想いを送ることが出来るし、

そして図々しくも、
いつでも好きな時に、
こちらも受け取れると私は思っている。

それは彼の残した言葉から音楽から、
映像からetc...
そして目を瞑ってイメージしても、
受け取れる。

魂の入れ物を脱ぎ捨ててからの、
つまり魂の存在になったフレディは、
望めばそのエネルギーを、
送ってくれるのであります。

(補足 : 前にも書いたけど"望めば"がみそ。
望まないのに送って来られるのは、
それはその受け手自身の内面的なことに、
別の問題があるのだと思います)

物理学的に、
エネルギーって分散されるので、
一度に何名様でも、
お好きな時にOKなのであります(笑)。

💛

こんな事を言い出すやつを、
"なんて眠たいやつなんだ!"と思う方は、
どうぞそう思って下さいませ。

だって何をどう思おうが、
自分で責任が取れる範囲ならば自由だもの。
(もう一言付け加えさせて頂ければ、
自分自身に責任が取れるのは、
自分自身だけだと、
そう思っているのであります)

しかし誰にどう思われようとも、
私はそのように感じるのです。
自分には嘘がつけないのであります。

"誰かに変だと思われ嫌われる事"と、
"自分の感覚を有耶無耶にする事"
その二つを天秤にかけるのならば、
私は喜んで前者を選択します。

何故ならば、
時には迷子になりつつも、
自分の人生を生きて行きたいから!

💛

さてさて。

ここ一週間ほど、
迷子になりながらも、
3着作りあげるというタスクを自分に課し、
うちのフレディシムの服を、
メッシュから作っておりました。

それは本当に久しぶりの事であり、
もちろん完成品に関しては、
まだまだ納得も出来ず。

もちろん画像を弄ったり、
ブログを書く事には、
誠心誠意を込めておりますが、
それ以外でも、
達成感を感じる事を思い出した。
(補足 : ここはシムズのブログなので、
シムズの話でまとめてみました)

つまり、
例えどんな事であっても、
(....自分に取って大切で必要な事ね。
余計な事はしなくていいと思う・笑...)
"これが今の自分の精一杯!"
というところまで、
向き合ってやっていかないと、
つまり、人生にやり残しが沢山あると、

いつまでたってもFreddieは、
お迎えに来てくれない事に、
気がついたのでありました(笑)。

"今日が人生最後の日だと思って、
死ぬ気で生きろ!"

そしてもう一つ思うことは、
完全に自分が納得する何か、
例えば作品もしかり、
それはきっとね・・・

死ぬまですら無いと思っております。
だからその時その時の精一杯を、
やって行きたいし、
足りない部分は積極的に補って行きたい。

Freddieが迎えに来るその日まで、
(頑なにそう信じております・笑)

そんなこんなを、
ジタバタとしながら生きて行こうと、
彼の31回目の命日に寝言で誓った、
私なのでありました。

Dag Dag!