11.19.2024

709. 特質・異端児の内観録(2025/01/22)


"お久しぶりSul!"
でございます。

今回の内容は、
少しだけチャラりとXに投稿しようと思ったが、
プライベートな事だし、
内容も内容なので、
(と言っても、
「詮索好き」の餌食になるような話では、
ございまいません・大笑)
"私だけの空間=このブログ"で、
認めることにしました。
(突然の思いつき: 
at 1/22 9:20 am・笑)

ブログデフォルトの公開日は、
去年の11月になってますが、

私の場合は、
記事番号と連動したURL習得に、
命を賭けているので(オオゲサw)、
記事の日付はガン無視。
故に下書き状態のシムズ記事を、
押し上げた結果でございます(笑)。
ブログの設定で、
日付表示を消しちゃえばいいんだけどね。
まあ一応。

💛

さて徐々に本題。

こんな事を記事にして、
一体誰得?

って感じの内容だけど、
自分のための備忘録。
つまり自分に向けて書き、
そして内面的な近況報告でもあります。

されど私が認める稚拙な言葉たちが、
万が一にでも何かのヒントとなり、
もしも何方かの背中押しになったり、
勇気や元気になったら嬉しいな。
そんな想いを込めつつ。
(もち、皆んなもそう考えようぜ、
などではございません。
ご存知の方はご存知だろうが、
私はそういうのが大嫌いです)

とは言え、
何かを感じた方のみ、
宜しければお付き合い下され。

💛

(以下、文章とは関係のない、
フレディシムのスクショを織り交ぜて)

💛

昨年の冬至が、
何故だか胸熱だったワシ。

って"いきなりなんだよ"なんだけど、
自分的に何か感じるものがあって、
12月の初旬過ぎから、
柚子風呂とうどん("ん"のつく食べ物)の事で、
頭がいっぱ〜い。
冬至冬至と一人で盛り上がっていたら、

『BBAのクリスマス(笑) by 息子氏』

コラァ!
冬至を笑うものは、
冬至に泣くのじゃ〜(笑)。


何故だろう? 動物的な勘?
何かを感じたのでしょうな。
ちな、
例年冬至は"スル〜行事"でした。
(その頃の自分は、
BBAのクリスマスに同意・笑)

さて。
その冬至の日にふと思ったのは、
"とりま春分までは、
思いついた事は、
『なる早』で『今まで以上に全力』でやろう"
重い腰を上げてヨッコラショの本気バージョンだが、
気持ちはワクワク。

そうこうしていたら、
冬至から1ヶ月が経った。

それはさておき、
長いか短いか分からない、
そんな余生のうちのたった3ヶ月を、
いつも以上の本気を出して生きても、
バチは当たらないだろう。

そんな風に思いながら過ごしている、
今日この頃でございます。


ですので冬至以降、
数回のポストはしたが、
ニュースのキャッチ源、
SNS(X)を見なかった(驚!)。

厳密に言うと、
Instaは画像メインなので、
サクッとチェックが可能なため、
時折見ていた。
その他では絵を描きながら、
結果的にはちっとも聞いてはいない、
耳チューブ(YouTube)はしていた。

ネット社会からは、
ほぼ足が遠のいた状態。
我が家にはテレビがないのも手伝い、
最近の世の中の情報源の殆どは、
会社の同僚や友人(感謝)。

(7,8年前に壊れたのを機に、
テレビは見ない事を選択。
必然性がある時はTverを見ればいい)


当然絵を描く事が、
今現在の生活の中心なんだけど、
それをしていると、
自分の内面から、
色々な何かがドバドバと溢れ出し、
内観状態です。

💛

絵に関して、
勇気を持って飛べない沢山の部分がある。
(否、多かれ少なかれ、
他の事に関してもある・笑)

水彩画の巨匠・永山裕子先生の言う、
「何かを壊す勇気」
これを目の当たりにした。
(言葉は著作本より抜粋。
Amazonに飛びますが、
アフェリエイトはやっておりません)

常日頃、
気にかけてはいる言葉だけど、
勇気を持ちきれない、
そんな自分がいる事に気がついた。


絵の話は一旦おき、
ここで人間関係の事に、
少し話を逸らせて記録したい。

元来、
他人が自分を見ているとは、
全く思っていないため、
他人の目などは、
ほぼ気にしていない状態。
母親に諌められる部分であったのも事実。
勿論そんなお小言に、
耳を貸した事もないし、
従わなかった事に後悔もしていない。

過去においてはかつての勤め先で、
"筋金入りの異端児"と、
上司から呼ばれていた事もある。
そして何故だがそれが、
嬉しかったワシ。
ズバリHTだろう(笑)。

(余談: 幸せな事に今の勤め先は、
オリジナリティを尊重しつつ、
共生協力的空気感なので、
私如き者は異端児ではありませぬ・笑)

高校時代に思い出を馳せても、
付き合いトイレが出来ない。
それでもごく稀に一緒に行っても、
もう一人の自分が、
"お前、
用も無いのにトイレで何してん?"と、
私自身を見ている状態(笑)。


私は直球を投げ合える人と、
繋がっていたいと思う派なので、
言わずもがなで友達は少なく、
されどその絆は深いタイプ。
そんな事も再認識した。

直球=相手に対して、
愛と想いやりのある本音。
変化球=相手に対して自分を良く見せたい、
相手を蹴落としたいという邪心から来るもの。
私はそのように定義している。

と偉そうに書いたが、
過去を遡り、私もムキになったりして、
変化球を投げた事が沢山ある。
この場で傷つけた方々へ、
心から謝罪したい。
ごめんなさい。


話を絵の事に戻して、
2023年に記憶を馳せる。

見て下さる方の色々な感想は、
百も承知の助で、
ほぼほぼ初めて、
それでも真剣に描いた人物画を、
2023年の2月頃にXに投稿した。

どんな心情だったかというと、
大袈裟に表現すると、
恥を隠すための"心のパンツ"を脱いだ。
要らぬプライドを捨てた。
当時もそうだったけど、
今もそうだけど、
どこをどう見ても酷い絵だ(笑)。

されど自分を偽り、
カッコつけたくなかった。
カッコつけのベール。
そんなものは、
いずれにせよ剥ぎ取られる。
その方がもっとかっこ悪いではないか?

💛

あれからもう直ぐ丸2年...?
(便利な計算サイト・笑)

自分の絵のスタイルが、
朧げにも固まりつつあり、
ど酷い絵も、
"少しづつマシ"になってくると同時に、
そのマシさにしがみつき、
壊せなくなった。

そんな自分がいる事に気がついた。
そして模索中(←イマココ)。
それは、
絵に限らずの話だと思うことも補足。


さてさて。

そうこうしながら絵を創っていると、
本当に色んなことが頭を過ぎる。

💛

お金の事も私の中を過った。

お金を支払った先に、
"自分自身"や"誰か"の幸せはあるのだろうか?

例えば、
払った先にあるのが物質だとしたら、
それを手にした時に、
嬉しさで思わず溢れでる優しい微笑みが、
そこにはあるのだろうか?

上記の"誰か"の件は、
今は上手く説明出来ないので割愛して、

"それを買った後の自分は、
幸せかどうか?"

ありがたい事に日々の暮らしで、
お金に困っているわけではないが、

絵を本格再開するまでは、
それらを"明確に"イメージした事が、
あまりなかったのではないか?

(自分のお掃除失敗に憤るフレディシム 1)

元々が異端児特質持ちなので、
人と同じである事を好まない。
故に世間で流行っているとか、
みんなが持っている物が欲しい等、
そういう事が殆どなくも、

かなり若かりし頃は、
"持つべきかな?"
義務に似たような、
可笑しなプライド的な部分があった。
"自分に幸せをもたらすかどうか?"
これを基準にして考えた事は、
ほぼなかったであろう。

💛

そして今の私はというと、
"お金そのもの"が、
私を幸せにする事は出来ない。

形の有無に関わらず、
お金を何と交換するのかが、
私に幸せをもたらすんだと再認識した。

余談だが、
これに関しては、
かなり以前から思っていた部分。
安さだけを理由に、
適当に買った物が、
結果的に喜びをもたらさない事は、
多々あると思う。

その考え方は、
今でも変わらない。
(お金はもとより、
粗末にされる物も可哀想)

(自分のお掃除失敗に憤るフレディシム 2)

💛

そしてさて。

人物画を描き始めて、
塗りやすい筆や、
素晴らしい発色の絵の具や水彩紙、
筆記用具にetc...

それを作って下さっている、
職人さんたちの姿が、
まるで目の前に在るかのように、
イメージに浮かび、
心から感謝の念が湧く事が、
人物画を始めてよかったと思える要素の一つ。
それまでは正直言って、
そこまで考えていなかったです。

(画材はもとより、
物には使い手との相性があると思うので、
私にとっては好くても、
誰かにとっては分かりません。
但し、
自分が心から好いと思った物に関しては、
Xポストで感謝を伝え続けたい)

そしてお金に関しては、
私は幸せな小金持ちでありたい。

💛

さてさて。
お金の話のついでに、
ここでもう一つ記録したい事がある。

以前目にした、
おススメに流れて来たポストに関して。
誰かの憶測 or 期待に応えられなくて、
すまねえ。
(言い方が意地悪?・笑)


私の場合はお金が欲しくて、
Xに課金したのではない。

アナリティクスだっけ?
それで目立つ事によって、
フォロワー数を増やしたいとも思っていない。
それはご縁あっての事なので、
無差別&無選別に、
誰かと繋がりたいわけではないのです。
(なんせ異端児です・笑)

課金した理由は、
Xを長く使わせて頂いている事への感謝と、
物理的な目的は、
ポスト編集とブックマークフォルダー。

あとは、
私はElon Musk氏が嫌いではないので、
なんか面白い事してくれよ的な、
淡い期待を込めて。

それともう一つ。
サブスクという体験を買った。
何でもやってみないと、
分かりません。
ちな、
お得な割引価格での1年サブスクです。

但し、
シースルーブロックは早よ辞めよ。
お部屋を覗かれるのが、
嫌な場合もあるのです。
(それも縁だから仕方ナス)

💛

ここで話がすっ飛んで、
ジェンダーに関して。
(って、飛びすぎや・笑)

それはとある日の朝。

"私が描きたいのは、
男でも女でもない。
ましてやLGBTQ+でもない。

フレディシムという、
どこにも属さない、
固有であり唯一無二のジェンダー"

目が覚めたと同時に、
そんな事がパッと脳裏に浮かんだ。


物理的(身体的構造)な区別は必要。
されど実は人間ていうのは、
目に見えない部分で、
個々のジェンダーを持っているのではないか?
と、ふと思ったのである。

ですので特にシムズを知らずに、
私の絵を見て下さった方は、
フレディシムの事を、
奇妙に思うかもしれない。

だからと言って、
世間に合わせて変える気は全くない。
つまりそれが私のオリジナリティなんだろうな、
という事を強く認識した。

💛

人間は漏れなく全員が、
オリジナリティを持っている。
だが安心を求めるがために、
いっしょくたになりたがったり、
外部に自分が振り回されたり。

されど、
本来は誰かと同じという枠の中で、
収まりきるわけが無いのではないか?
そのように強く感じる、
「特質・異端児」なのでありました。

んでついでに言うと、
Freddieは驚くほど沢山の人が描いても、
フレディシムは私にしか表現出来ない。
そんな事も一丁前におもっちょります(笑)。
(どんだけ自シムラブや〜)

(ゴーストとして抗えない砂の嵐・笑)

💛

さて。
人生とは突然の連続。

2013年: 突然Freddieのファンになり、
2019年: 突然フレディシムを作成し、
シムズプレイに留まらず、
2023年: 突然人物画を描き始める。
Freddieが描きたい!から派生して、
今では主に、
フレディシムを題材にして、
描いております。

そして春分まではこれや。
"思いついたことは『なる早』で、
『今まで以上に全力』でやる"
自分との約束です。

されどそこが終着点ではない。
それは今後に向けた、
習慣付け、
アイドリング期間なのかもしれない。
ぶっちゃけそれをする理由は、
明確には分からない。
それをやりたいからやる。

やりたい事には分岐点があったとしても、
終着点はない。
どこに辿り着くのかも分からない。
風の吹くまま、
思いと想いの向くまま、
これからもやって行こうと思う。


さてさて。

相変わらずの駄文にお付き合い下さり、
ありがとうございます。

しかも読み返したら、
メッチャ長いや〜ん!で、
貴重なお時間を掛けて、
最後まで読んで下さり、
本当にありがとうです。

繰り返しになりますが、
烏滸がましくも、
この記事の何かが、
何方かの励みになったのならば、
とても嬉しく思います。

さてで、おい。

下書き状態で止まっている、
シムズ記事が4本...ち〜ん。
内観タイムと化した、
絵を描く合間を縫い、
完成出来たらいいなという希望的観測。

そんな感じですが、
宜しければまた、
ふらりと覗いてやって下さいませ。

(定期: モカ、お前大好き💛)

繋がって下さっている皆様へ
ありったけの感謝と愛を込めて
Mocha Mattari

💛

PS: Xで繋がって下さってる方へ
自己状況に寄っては、
もうしばらくの間、
Xから足が遠のくかもしれませんが、
悪しからずです。

それと、
"このような異端児は如何なものか?"
と感じたら、
どうぞご自身に正直になり、
よしなになさって下さいませ。