Sul Sul!
初めてお越し頂いた方も、
いつもお越し頂いている方も、
私の稚拙なブログにご訪問いただき、
とても嬉しいです。
お陰様で帰国以前よりも、
さらに沢山の方々に閲覧いただいており、
大変嬉しく思っております。
本当にありがとうございます。
💛
うちのオマージュシム達と迎える、
2回目の"A Tribute to Freddie Mercury"です。
いつも
a tribute = 賛辞
を送っているのではありますが。
お気に入りの撮れ高を間に挟みつつ、
クイーンの楽曲の話から始まり、
心のうちの秘密を、
今年も明かしてみたいと思います。
💛
記事を書き終わって感じた事を先出しで。
「そして今、
読み返してみたのだが、
何かの力に書かされていたかのように、
相当走っておりました。
少しの毒もあるかもです」
💛
さてさて。
「死せるFreddie Mercury、
生けるマッタリモカを走らす」
(from 三国志演義)
いきなり失礼致しました。
これずっと書いてみたかったんだ(笑)。
💛
このブログのトップページにも綴ってあるのだが、
実は意外にもボラプからではなく、
フレディ(以下敬称略)をきちんと認識したのは、
約6年前なのである。
そしてその認識をする切っ掛けとなった、
私の心と耳を釘付けにした楽曲は
"The march of the black queen"
なのであった。
70s フレディの姿を、
You Tubeでありながら、
動かぬ状態=スライドで見たのであります。
もちろん"Radio Ga Ga"や
"We are the champion"
"We will rock you"などなどには、
耳馴染みを持っていたのだが、
認識をするまでの私の中では、
「それらの曲はQUEENの曲であり、
Freddie Mercuryが歌っている」
その辺りがバラバラに分離されていたのである。
ほぼ誰もが知るであろう、
ビッグネームなのに、
今考えても何故なのか不思議・・・(笑)
その私の頭の中で分離していた時、
ニュートラルな状態、
とも言える非常に浅い認識だった頃、
ヒゲフレディが、
スーパーマリオと被って仕方がなかったのである。
(誰かにキルされそうな発言である・笑)
「スーバーマリオが、
数々の耳慣れた名曲を歌っていた」
とは結びつかなかったのであります。
そして
「カップヌードルじゃないとやだもん」のCMも、
取り立てて興味が湧かなかったのだよ。
カップ麺、嫌いだし(笑)。
余談だが、
年間消費はやむない時の1,2個。
さらには動かぬ70sスライドフレディと、
スーパーマリオと思しきそのバンドヴォーカルが、
直ぐには結びつかなかったのである。
話は楽曲のことに戻り、
"The march of the black queen"
が入っているアルバム、
"QUEEN II"を当然のごとく、
最初に聞いた。
その結果、
"White Queen"に魅了され、
"Ogre Battle"で英気を奮い立たされて、
"The Fairy Feller's Master - Stroke"
の中毒性のある疾走感が、
頭の中でガンガンヘビロテ。
リチャード・ダッドの絵画を見て、
感じ取りイメージし、
歌詞を書いたフレディに敬服。
そこからつながる"Never More"
そして心を掴まれた
"The march in the black queen"
さらに初期ならば
"Flick of the Wrist"(カッコええ〜!)
"Liar"も大好き。
そしてフレディの、
ベルベットボイスを堪能できるスロー。
"You Take My Breath Away"
"Jealousy"
この二曲からは切なさが、
ビンビンに伝わってくる。
ヒット曲と言われる楽曲の中では、
"Good Old Fashioned Lover Boy"
"Somebody to love"
"Save Me"
そしてもちろん
"Killer Queen"も好き。
楽曲に関して、
まだまだ書き足りないのではあるが、
これ以上書き出すと止まらないので、
とりあえず今年は(笑)このあたりにしようと思う。
💛
ルックス的には、
"Killer Queen"辺りの中性的な美しさがビンゴ。
HG時代もかなり好きなのであるが、
それをシムズ的にオマージュするのは、
髪や衣服の関係上、
非常に難しいのが残念。
(あまり沢山のCCを使いたくない派のため)
喜ばしことに、
映画ボラプの大成功のお陰で、
本の再販が頻繁に行われるようなり、
とても幸せなのであります。
そしてフレディの人となりを、
もっともっと知りたくて何冊かの本を読んだ。
私が好きな本は
「フレディ・マーキュリ 孤独な道化師」
何故ならば、
色々な人から見た色々なフレディを、
感じる事が出来るからである。
それともう一冊。
「フレディー・マーキュリー
自らが語る人生」
インタビューの総括本と言えばいいのかな。
映像関係だと、
ドキュメンタリーは「輝ける日々」の一点推し。
ライブDVDは前期から後期まで全て好き!
本の話に戻るのだが、
人間とはいろんな面を持っているのが、
当たり前だと私は思うし、
向かい合う相手により見せる部分、
つまり誰かと接する時、
自然と引き出し引き出される、
「見える部分、見えない部分」
「見せる部分、見せない部分」
が違って当たり前だと思うのです。
「私にはこう言っていた」
「私にはこうだった」
「あの時はああで、この時はこう」
嘘つきとかなんとか、そんなんじゃなくて、
どれもこれも、
その人自身なんだと思うのである。
もっと簡単に言えば誰かが口した、
「あの人はそんな人じゃないよ〜」
っていうのを想像してもらうと、
分かりやすいかと思う。
どうしてそう思うのかというと、
人間のコアである、
心やセンチメントなど形のないものは、
形がない故に、
変わり易いと思うのであります。
(変えやすいし変わりやすい)
ですので人間とは、
パノラミックな生き物だと、
私は思うのです。
そして、
魅力的なパノラミックさを私に見せてくれたのが、
フレディなのです。
💛
ここで言いたいことがあるのだが、
上に書いたことと、
「ブレる人、ブレない人」というのは別の話で、
「ブレる」っていうのは自分の個を殺して、
「人と協調じゃなくて、人に同調する」
協調性は大事だけど、
「私も、私も」みたいな、
「同調性 = 人の顔色をうかがう」みたいなのは、
いらないと思うのであります。
💛
話戻って本に関しては、
そんな理由から上記二冊が、
お気に入りなのだと思う。
💛
フレディといえばセクシュアリティの部分も、
クローズアップされがちなのだが、
このブログの入り口 - トップページにも書いてある、
「人間の本質とセクシュアリティとは別物」
というのは勿論今でも変わってはいない。
さらにはセクシュアリティばかりを誇張して、
面白おかしく表現するような輩は、
嫌いなのであります。
セクシュアリティとは繊細で、
神聖な部分なんだと思うからね。
💛
さてさて。
話の尻切れとんぼ感も否めないのではありますが、
キリがないので、
この辺りでこのページを、
お終いにしたいと思います。
来年、
もしくは他の機会があったなら、
また書かせて頂きたく思います。
💛
最後にみなさまへもう一度。
このブログをご訪問くださり、
本当にありがとうございます。
💛
Freddie Mercury forever!
Mocha Mattari こと マッタリ・モカ
11/24/2020