Sul Sul!
未来の自分のために、
心の備忘録を書くことにした、
弥勒=3つの6の今回。
666は悪魔じゃねえかって?
違うわ、弥勒だ!
物は捉えようである(笑)。
冗談はさておいて、
シムズのプレイネタではなく、
一昨年前に始めた、
人物画の心の徒然。
こんな駄文が、
万が一にでも、
何方への背中押しや、
ヒントになったのなら、
嬉しく思います。
"興味ねえよ"って方は、
プリーズブラウザーバック。
それ以外の方は、以下、
お付き合いの程を。
💛
まず最初に、
サボりながらも、
絵描き活動を約20年間続けております。
(過去に描いたものの、
ほんの一部。
行方不明な物も多数・悲!)
💛
絵に関しての簡単な略歴は...
("その約20年間"以外のことも含む)
(1)一枚の風景画が、
うっかりと売れたり(驚・笑)、
小さなお店のフライヤーイラストを、
描かせて頂いたりした。
(2)10代の頃、
お父さんの似顔絵(油絵!)で、
なんと!?賞を取った事がある(笑)。
それはまだ実家に存在する。
(3)最近思い出したのが、
芝桜をモチーフにした切り絵が、
小学校で表彰された。
(4)授業中の落描きは、
自分の手。
(シムの手フェチの始まりかも・笑)
(5)幼少の頃は、
洋服のデザインに夢中!
それを母に見せて、
着せ替え人形の洋服を作って貰うのが、
楽しみだった。
(元々実家はオーダーメイドの、
婦人服洋裁屋だったから血かも?・笑
因みに店を閉めてからは、
祖母が着物を縫う仕事をしていた)
だけどそんな思い出は、
普段はすっかり忘れております(笑)。
(6)近況: 素敵なご縁をいただき、
数ヶ月前から、
お花の絵の依頼を受け、
小サイズですが、
月一で描かせて頂いてます。
それも楽しい。
💛
さて。
サボりつつの約20年間、
私が描いていたのは、
屋外スケッチで風景、
そして静物画だったのだが、
コロナが流行ってから、
屋外に行かなくなった。
だけど収まった今でも、
花の摘み描き以外、
屋外スケッチには行っていない。
(我ながら、
あの頃は凄い体力があったと思う・笑)
💛
そんな私に、
『人の顔を描いてみたい』
2023年2月、
突然の閃きが訪れた。
まずは30枚と思い、
"ど酷い絵"を描き始めたのだが、
その30枚の意味は、
それを描いている間に、
辛いとか苦しいとか、
意味もなくがむしゃらとか、
将又思い通りに描けなくて、
不貞腐れたりなど、
自分がそんな状態になったら、
スッパリとやめようと思っていたので、
それを踏まえての30枚だった。
何故ならば、
そんな思いはトラウマになったり、
例えその状態で、
しがみつくように続けていても、
ただの執着だと思うのである。
例えを上げるとしたら、
『折角〇〇年も続けて来たんだから、
勿体無い』
みたいな感じ。
そして実はそれって、
自分が本当にやりたい事では、
なかったりする。
『これ自分がやりたい事ではない』
そんな切り替えが、
とても大事だと、
私は思うのであります。
💛
本人相当若いつもりだけど(笑)、
ぶっちゃけ肉体は滅び行く。
だからそんなの時間が勿体無いじゃん。
と、私は思うのである。
なのだが、
どんなに酷い絵しか描けなくても、
はちゃめちゃに楽しかったのである(大笑)。
不貞腐れる暇もなし!
だからこそ、
まずは一年続けようとも思えた。
やるからにはある意味、
覚悟を持ちたくて、
その酷い絵をSNSで晒す事にした。
幸せになるにも楽しむにも、
覚悟が必要なんだよ。
(by 誰か)
SNSに晒すことまでが、
自己満足。
(by 誰か)
(1年間、描いたものの一部。
覚悟のために晒した酷い絵は、
左下隅・笑)
💛
なんせ1年間続けてみて、
自分の絵がどうなるかなんて、
そんな事は二の次。
今ここ、目の前にある、
自分が描いている絵しか、
見えてない状態。
いわゆるなんだが無の境地(笑)。
そしてそれは、
一年が過ぎた今でも相変わらずで、
何かに憑依されているが如く、
気がつくと描いている自分(笑)。
まるで呼吸をするみたいに。
💛
これも普段は、
すっかり忘れているのだが、
実は20年前に人物画に、
着手した事がある。
この時、
30〜50枚は描いているが、
楽しいには楽しかたけど、
その時は違和感しかなく、
『今の私がやりたい事は、
これじゃない』
みたいな。
そしてその後、
屋外スケッチと静物描きに、
ハマって行った。
だから、
唯一着手していなかったのが、
風景の中のクロッキー的人物は別として、
人物を描くという事だった。
因みに全身描きには、
今のところ興味が湧かない。
なんてったって、
うちの子達のLookbookを撮っていても、
ついつい顔に寄っちゃう癖があるからね(笑)。
(あの頃のやる気・大笑。
今となってはよいあんちょこ)
💛
さて。
先のことは分からずとも、
始めた当初から、
一つだけ思い続けているのは、
亡き先生のメソッドを活かし、
『私は私の絵が描きたい』
私の場合は、
ここが一番大切だと思っていて、
それが出来るのが、
先生のメソッドだと思ってるし、
何よりも、
自分には合っている。
💛
つまり
『一体自分は、
どんな絵が描きたいのか?』
ある程度のゴールが決まっていなければ、
絵が迷子になってしまう。
デッサン本をあんちょこにしても、
誰かの真似ではなく、
生意気にも、
自分の線で描きたいのである。
正直言って、
アニメとかキャラ描きには、
全く興味がない。
(因みにアニメ=漫画はストーリーや、
登場人物の心の機微を堪能する派。
なので容姿に惚れるという事が、
皆無である・笑)
つまり、
〇〇先生風の絵を描きたいわけでもなく。
誰かの作品を模写するという考えは、
微塵も湧かなかった。
それゆえに考える間もなく、
ストンと素直に先生が推奨されていた、
人物写真模写に取り組んだのである。
💛
そしてもう一つ大切なのは、
『誰のために描くのか?』
商用でもない限り、
絵とは自分のために描くのである。
自分自身が嬉しくなる一枚を求めて、
描くものである。
一枚の絵の中には、
自分の全てが詰まっている。
もちろん自分自身が持つ、
負の部分までもが!
(実はここがデカイ・笑)
そしてその部分を直視しないと、
絵だけに限らず、
何も変わらないと思うのである。
私の場合は、
Freddieがお迎えに来ない限り(笑)、
生きているうちは、
日々変化していたいと、
そう思うのである。
昨日よりも今日、
自分自身が、より心地よいと感じる、
そんな自分でいたい。
それ以上でも、
それ以下でもなく。
もう少し手を入れたい)
自分のために描くことが、
自分勝手だって?
それは違う。
人間とは無形生物だと思うので、
人間関係に例えると、
人はその都度、
自分のような人間と出会い、
交流するものだと思うし、
時が経ち、
違うと感じたら執着しないで手放す。
💛
話戻して他人の目線、
他人の軸で描くのなら、
一からデッサンを学ぶのが、
一番の近道であり王道である。
そしてそれが、
自分自身が描きたい絵であるのなら、
それはそれでいいと私は思う。
余談: "売るための絵と、
自分が描きたい絵は違う" by 先生
💛
兎に角この1年間、描きまくり、
今でも描きまくっている。
そして無の境地で描きながらも、
先生が教えて下さった、
描く事と自分の絵と向き合う、
メンタルの部分の一つ一つを、
しっかりと思い起こす。
(Insta)
"絵の描き方なんて、
習うもんじゃない。
好きに描けばいいのです。
描いているうちに、
自分自身に足りないと感じる部分が、
出てくる。
そこは後から補うのです。
そうでなければ、
身につかないでしょう?"
by 先生
(初歩的な部分のお話)
💛
書き留めておきたい事が、
まだ沢山あるのは確かなのだが、
支離滅裂になったので、
今は以上かな。
こんな駄文の中にも、
何か持ち帰れるものがあったら、
幸いです。
そしてもしもここまで読んで、
批評批判、
ジャッジする心が芽生えたのならば、
どうぞそれに執着をせずに、
手放して下さいませね。
人と自分は違って当たり前。
だから面白い。
何よりも、
誰かを評価する権利は、
誰にもない。
"自分自身の事は自分が決める"
by Freddie Mercury
唯一出来るのは自分自身だと、
Freddieの言葉の意味が、
前よりよく分かるようになった。
💛
さて。
今から1年後の私の目には、
今の私の絵がどう映るのか?
物凄くつまらないものに見えたら、
ラッキーなのであります。
そんな事を楽しみにしながら、
感謝と敬意と共に、
この徒然記事を、
今は亡き先生に捧げます(RIP)。
From Mocha
💛
PS 1: Xから来て下さった方へ
考えたの結果、
スクショや絵の投稿に関して、
Xよりもインスタの方が、
インターフェイスやシステム的にも、
都合が良いので、
最近はそちらに投稿しています。
Xの方は、
出来る時だけの限定になるけれど、
相互さんのTL追い、
滅多にない(笑)ブログの更新記録、
情報収集に活用して行こうと思う。
ご縁があり宜しければ、
Instaでお会いしませう。
💛
PS 2: フレディシムは元気です。
新しい愛機MB Airの中で、
暴れまわっちょります。
(以下、お久しぶりのSylvan Gladesより)
Dag dag!